Arida Story 03発酵
「発酵」と共に生きる
伝統文化の舞台裏
ユネスコの無形文化遺産にも登録された和食。その和食文化に欠かすことのできないのが、深く豊かな味わいをもつ「醤油」ではないでしょうか。
ソイソースとして世界に誇る和食の要。そのルーツはこの地域にありました。
醤油醸造発祥の地、湯浅町。昔ながらの醤油蔵だけでなく町のあちらこちらに残る醸造文化は情趣たっぷりにその歴史を伝えます。
そして、醤油だけでなく日本の食文化を彩る味わいとして重要な役割を担っているのが「日本酒」です。
この2つに共通するのは「発酵」というキーワード。
ただ味わうだけでなく、その舞台裏を知れば、もっと日々の食が豊かになるかもしれません。
今回は「発酵」をテーマに、歴史深い醤油蔵と酒蔵を巡り、それぞれの醸造のカタチや醸造家の想いを伺ってきました。
幸運の醤油発祥物語
発酵文化が息づく醤油のまち、湯浅町で「醤油」が生まれたのは、はるか中世に遡ります。
建長元年(1249年)に宋に渡った禅僧覚心が、径山寺等での修行の傍ら学び持ち帰った味噌(現在の金山寺味噌)の製法。その味噌造りの製造過程で、野菜から水分が染み出し桶に溜まる液汁の芳香な味わいに気づいた湯浅の人々が改良を重ね、生まれたのが醤油の始まりとされています。
味噌造りにおいて重要な水。湯浅の水や気候 が味噌造りに適していたことが、このまちに醤油の醸造文化が根付くきっかけとなりました。
近世になると、徳川御三家の1つ、紀州藩の保護を受けた湯浅の醤油は、海を渡り日本全国に広まります。
昔から漁業が盛んな湯浅の醤油は、魚に合う濃口で深みのあるものが多いです。醤油造りが栄えた通り沿いは、今なお残る重厚な瓦葺の屋根と繊細な格子が残る町並みです。その歴史と伝統を伝える醸造ストーリーは、平成29年(2017年)に「『最初の一滴』醤油醸造の発祥の地 紀州湯浅」として日本遺産の認定を受けました。
白壁の土蔵や風情ある町家が建ち並ぶ通りや小路を歩くと、老舗醸造蔵から芳ばしい香りが漂います。
醤油の原材料は大豆、小麦、食塩、そして水。冬の間に蒸した大豆と砕いた小麦に麹菌を混ぜ合わせ、育てた種麹を塩水とともに樽に入れ、2〜3年手間暇かけてじっくりと発酵させることで醤油となります。昔ながらの醸造蔵には、さまざまな年月を刻む桶がびっしりと並び、芳ばしい液体を湛えます。
「これが仕込み始めて半年程度の樽です。」
その樽を覗いてみると、ふつふつと泡が立ち上り、発酵が進んでいるのがはっきりとわかります。さらに、櫂を入れると、プチプチと弾けるような音がひときわ大きく蔵全体に響きわたりました。
「こうなると元気に生きているなと感じるんですよ」と醸造家さん。
「発酵が進むと表面がパンケーキのように膨らんできます。そうなると混ぜ初めの合図です。こうなると、あとは様子を見ながら、櫂を入れ始めます。」
気温が高い日が続くと発酵が早くなるのも「生きている」ことを感じる瞬間なのだそう。同じ原料で同じように作っても、わずかながら仕上がりに違いが出るのも生き物であるからこそ。樽ごとの発酵の様子を窺いながら、長いもので約2年じっくりと櫂を入れながら寝かせられます。
天保時代から続くこちらの蔵では、天井や梁、桶、壁にも酵母が棲みついているそう。この蔵付き酵母で、自然の温度管理をいかに徹底するかがおいしさの秘訣。
種麹を造る際は発酵熱を外気で冷まし、温度・湿度の上がる梅雨時期には通常より攪拌(混ぜる)回数を増やして発酵が進みすぎないようコントロール。昔ながらの手仕込みの手法は今もしっかりと守り継がれています。
その上で「特に心がけているのは3つ。よい麹を作ること、攪拌作業を怠らないこと、そして火入れは時間をかけてゆっくりと。これだけは守っていかなければと思っています」と醸造家さん。一滴一滴丁寧に時間をかけて搾られた醤油は、最終的に釜で火入れを施し瓶詰めされ皆様に届けられます。
火入れをする日は通りの隅々まで行き渡る醤油の香り。この香りこそが湯浅を象徴し、一度湯浅を離れた人も、帰ってきた時には懐かしく感じる和のアロマです。
蔵独自の伝統をベースに
守り続ける発酵の技
国指定登録有形文化財にもなっている酒蔵もまた脈々とその歴史を紡いでいます。
お酒造りにも米作りにも肝となる「水」。かつて米どころであった有田川町金屋地域は清らかな水が豊富に流れる地域です。
その水を仕込み水とし、酒造りをおこなっている酒蔵には、生石高原からの吹きおろしが川を渡り谷間に届く頃にはキンと冷えた風となって通り抜けます。澄 んだ水と夜間の冷え込み、そして昔ながらの木造蔵が発酵に適した条件の中、天保11年(1840年)から180年以上続く有田地域唯一の蔵元「髙垣酒造」があります。
平成22年(2010年)から杜氏を兼ねる蔵元は、先代である夫の亡き後、その想いを受け継いで、一度も造りを休んでこなかった蔵の歴史を途絶えさせないよう未経験ながら懸命に技術を学び、今ではすっかり蔵を支える杜氏となっています。
流行には捉われない職人気質だった先代のお酒には今でも根強いファンが多くいます。
「そんな主人のファンにも応えながら、私らしいものを造っていけたら。昔は日本酒といえばお父さんの晩酌というイメージでしたが、最近はワインのように清らかで淡麗なお酒や香りがすごくフルーティなものも出てきています。流行りの酒を造るのではないけれど、若い方や和歌山を離れている方も、私のお酒を飲んでどこか人懐っこさのようなものを感じて、ほっこりしてもらえたら嬉しい」と蔵元。
だからなのか、芯はしっかりと通しながらも酒質は気どらない親しみやすさを覚えます。
仕込みの様子を一部見せていただきました。
秋の終わりから真冬にかけて、冷え込みが厳しい中、お米洗いが始まります。精米歩合や水温、外気温などで変化するお米の水分吸収量。それらを見極め、秒単位で時間を測りながら、袋から洗米機へ、そしてザル、たらいへと運ばれていく大量のお米。冬の寒さと水温は、身を切る冷たさ。それでも、美味しいお酒を造りたい。そんな想いからここでは寒い時期に仕込みがされています。
こちらでは蔵人の目が行き届くよう少量ずつ仕込みが行われていますが、そのほとんどの工程が手作業。
洗米だけでなく、麹を作る際も、室(高温・多湿の部屋)で、蒸したお米を手で広げ、麹を育てていきます。
温度や湿度の管理を徹底するため、杜氏や蔵人は夜中も順に仮眠をとりながら、1時間ごとに状態をチェックし、紙に書き記していきます。
「とにかく温度管理が味の決め手」と髙垣さん。お話を伺うと、どの工程からもそのことが感じられます。
発酵前には、酒母のタンクにあんかを入れて暖気し、蒸し米をタンクに入れるタイミングを見極める際には、最終的に職人の「手」で直にふれてみて判断がされます。
また、発酵の瞬間は「発酵熱」と呼ばれる熱が発生し、お米の温度がみるみる上がっていくため、適当な温度になれば、雑味が入らないよう冷却水で調整し、ゆっくりと温度が下げられていきます。
発酵中のタンクの中は、醤油と同じくプチプチとした発酵音が弾け、ふくよかな香りが広がっています。湧き上がる泡の量や大きさ、ツヤ、弾ける音などもまた温度と同じく、良いお酒を造るために目が離せません。
これだけの細やかな造りがされていても、できあがるまで仕上がりがわからないのもお酒造りの奥深さ。毎回搾った後の最初の一口目は「ブレていないか」「香りがちゃんと出ているか」、銘柄ごとに「こう飲んでもらいたい」という蔵の想いが伝わるかをしっかりと確認するのだそう。
その真摯な想いが、きっと数値だけで測れない繊細なおいしさに繋がっているのではないでしょうか。
「十蔵十色」のように、蔵の違いだけでなく、造る人によってもわずかに味が変わるのが発酵のおもしろさ。その指揮官である醸造家それぞれが、先人たちの歴史と想いを背負いながら自分たちの「造り」を続ける。そんな覚悟が今に続いているのを感じます。
醤油、日本酒ともに見学可能な蔵もあります。発酵に寄り添う蔵ごとの想いや発酵文化にふれてみてはいかがでしょうか。
記事作成:令和4年2月